マネブログ

カウントダウン  ~あと3日~

こんばんは!

13日目は…
自称ラグビー部の常識枠。テスト前は「全然勉強してない」とか漏らすタイプの努力家。持ち前のコミュ力と強力なバインドで他校も新入生も離さない。試合では誰よりも声を出して士気をあげる、大仏デストロイヤー。根本 悠希(PR/HO)!
矢崎組PR.HOの根本悠希です。新人戦でベスト4になれたので、それ以上を目指して練習してきました。応援して頂けると嬉しいです。
   3年程ラグビーにかけてきた高校生活はとても濃密でした。これから振り返ってみたいと思います。良かったらお付き合いください。
   2018年、ネームバリューに惹かれてこの県千葉に入学しました。正直合格した段階でラグビーに入るとは微塵も思ってませんでした。ただ、中学時代からお世話になっていた日比野先輩がいたのと、先輩方の勧誘の雰囲気がどの部活よりも楽しそうなので入部してしまいました。昔はシックスパック手前までいったお腹もどんどん大きく育ちました。また、中学時代は1番ゆるい部活に所属していたため、日々驚きの連続でした。
   何度辞めようと思ったことか。そんな気持ちを嫌な顔せず受け止めてくれた河内、ありがとう。ラーメン奢って恩返しします。気が向いたら。
   小柴組の秋大では、少しも出場することができずとても悔しくて、加曽利組になってからは、スタメンになれるように頑張りました。
   加曽利組の秋大では、春にボコボコにやられた専松に前半勝てていました。しかし、自身の弱さが後半に露呈してしまい、それも相まって、結果負けてしまいました。恥ずかしながら、とても悔しくて、初めてスポーツで泣きました。
   矢崎組となり、再度専松と戦えることになりましたが、そこでも負けてしまいました。悔しくて悔しくてたまりませんでした。なぜなら、僕のスローミスがかなり足を引っ張ってしまったからです。
   そこからはミスをしないように頑張っていましたが、なかなか上手くなりません。やはりこれが世の常なのでしょうか。追い打ちをかけるように、見学をする程ではないけれど、ものすごく痛い怪我を繰り返しました。その時期は、正直ラグビーが楽しくありませんでした。ただ、このままミスをしたまま終わりたくないという思いが強かったので、ここまでやってこれました。
   この思いを嘲笑うかのように、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、その影響で春大が無くなってしまいました。しかし、このコロナ期間は僕に多くの気づきを与えてくれました。ビデオの中の自分のプレーの正確さの圧倒的低さ、メリハリの無さです。見ていて愕然としました。これほどまで雑魚だったのかと。期間後の部活はかなりやる気が出てきました。後悔して終わってたまるか、と。
   コロナ明けは勉強との両立が難しく、日々苦悩していました。ただ学校生活の唯一の救いが、このラグビーでした。
   あと少しで気持ちをぶつけられる最後のチャンスとなる秋大の初戦が始まります。今まで努力してきた成果を出し切れるように、今までお世話になった人達に胸を張って引退を告げれるように、まずは声からタックルから頑張っていきます。
   最後になりましたが、為成先生、古田先生、池辺先生、中嶋先生、ラグビーを教えていただきありがとうございました。充実した日々を過ごせました。マネージャーの方々、テーピングをしていただいたり、雑談に付き合ってくださりありがとうございました。楽しかったです。先輩の方々、後輩の皆さん、キングオブネガティブの僕を励ましてくれたり、一緒に楽しく部活を過ごしたりしてくれてありがとうございました。とても助かりました。そして”高堰組”の皆さん、3年間とても楽しく笑いに溢れる日々を過ごせたのは、皆さんのおかげだと確信しています。ありがとうございました。
以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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カウントダウン ~あと4日~

こんばんは(*゚▽゚)ノ

12日目は…
バスケで培ったステップで相手を抜き去る、我が部のトライゲッター。食事のスピードとステップの速さだけはチーム1。二郎系ラーメンの食べ過ぎで血液検査に引っかかり、今は食事制限中らしい…。小田 岳彦(CTB)!
矢崎組CTBの小田岳彦です。県千葉ラグビー部の一員として練習できる日々も残りわずかとなってしまいました。高校ラグビー人生の終わりを迎えようとしている実感はまだありませんが、山あり谷ありの3年間を振り返りたいと思います。
他の部員と同じように、僕も入学当初は、まさか自分がラグビー部に入部するとは思っていませんでした。6年間バスケをやっていたこともあり、当然高校3年間もバスケに捧げるつもりでいました。改めて思い返すと自分でもすごい選択をしたなと思います。
小柴組ではWTBをやらせていただきました。しかし、胸を張ってレギュラーを勝ち取ったのだと言えるほどの技術も経験もなく、先輩方にカバーに回ってもらうことが大半でした。何もできない自分が情けなくて、チームにとってプラスになるためにはどうすれば良いか毎日のように悩んでいた時期が今では懐かしく感じます。上級生とのコンタクト練習で、身も心もボロボロになるような辛い日々が続いたのですが、見捨てることなく最後までリードしてくれた小柴先輩には本当に感謝しています。
加曽利組になるとCTBとして試合に出るようになりました。当時の僕は175cm 63㎏とCTBをやるにはあまりにもひ弱な体型でした。多くのチームは2年生がCTBをやっていたので、その体格差から何度もふっ飛ばされ、なぎ倒されました。特別足が速いわけでもなく、パスやキックのスキルもありませんでした。また、タックルに関してはかなり下手くそだったので、何度も挫折を経験しました。脳震盪を4回、首の捻挫、前歯のひび、熱中症で41度の発熱で緊急搬送、グランドの土で喉が膿むなどなど。間違いなく17年間で最も辛い1年でした。特に4回目の脳震盪の時は、ラグビーを続ける意思を完全に失い、親や仲間に辞める決意を語るほどでした。辞めることで仲間からの信頼を失う恐怖と、もしまた頭を打ったら命に関わるのではないかという恐怖との葛藤から、決断をするのに1ヶ月もの時間がかかりました。そして、なんとか継続する道を選ぶことができました。その時、親身になって相談に乗ってくれた二村には感謝しかない、ありがとう。
怪我多き一年だったので、外から見ることが多くなりました。最初は、みんなとプレーできないもどかしさを感じていたのですが、先輩や"為さん”のボールのもらい方やパスの投げ方、タックルに行くまでの姿勢など自分に足りないスキルを見学によってたくさん吸収することができた時期でもありました。吸収したことを試してみたり、上手い人の動画を見て練習したりしているうちに、ようやくラグビーの楽しさに引き込まれていきました。
体重の増量から、タックル練、パス練、ステップ練まで自分ができる最大限の努力をして迎えた春の大会。初戦から毎試合ゲインラインを突破するプレーができ、アタックに自信が持てるようになりました。今までの頑張りが花開いたようでした。
冬には都県対抗戦にCTBとして60分間プレーするという、貴重な経験をすることができました。高1の冬に千葉県代表として加曽利先輩が戦っている姿を見て以来、同じ舞台で戦うことを夢見ていたので、ようやく努力が実を結んだよう思いでした。
ここで1、2年生に伝えたいことは、しんどい時期は誰にでもあるし、辞めたくなることもあると思うけど、努力し続ければ自分の理想像に近づけるはずだから、例え今辛くても必死にしがみついて頑張ってほしいということです。パス練やキャッチ練、ラントレや筋トレも無駄になることは決してないから、やらされていると思うのではなく、自分のため、チームのためだと思って頑張ってください。
矢崎組で新人戦ベスト4を勝ち取り、ここからという時にコロナ禍に見舞われました。やっと本格的な練習できるようになった矢先に、僕は体調不良により、前線から退くことになってしまいました。結局最高学年としてラグビーが出来たのは5ヶ月足らずでしたが、コロナの自粛期間が明けてからも、誰一人欠けることのなかった矢崎組の一員でいられることをうれしく思います。
勝ちに貪欲なチームメイト、汗臭い部員を最後までサポートしてくれたマネージャー、熱く指導してくださった為成先生、古田先生、池辺先生、転任されてからも気にかけてくださった中嶋先生、手厚い支援をしてくださったOB・保護者の方々、どんな時も自分が選んだ道を後押ししてくれた家族のために、1秒でも長くグランドに立って最高のプレーをしたいと思います。3年間ありがとうございました。
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カウントダウン ~あと5日~

こんばんは!

11日目は…
愛称はちゅーへー。ラグビー部屈指のバッドボーイで数多の伝説を残してきた。FWとBKをこなし切る実力を持つ。普段のお調子者の姿と試合の時の頼れる姿のギャップに心を奪われる女性が跡を絶たない。この3年間幸せの頂点にいたらしい。吉田 周平(LO/FL/CTB)!
ロックとフランカーとセンターの吉田周平です。これからラグビー部で過ごした今までのこと、大会の意気込みなどを書いていきたいと思います。
僕は、小中同じ学校だった矢崎くんに誘われ、勧誘の雰囲気でそのままラグビー部に入りました。もともと野球をずっとやっていましたが、自分の成長をあまり感じなくなり新しいスポーツをやりたいと思っていた頃だったので、良い機会となりました。
僕の二年半は、大きな怪我が多かったと思います。1年秋の左脚の肉離れと2年秋の左肩の脱臼でどちらも2~3ヶ月の長期離脱をすることになってしまいました。しかし、この経験は僕にとって大きなものとなりました。なぜならラグビーを『見る』というとても大切なことが出来たからです。ひたすらタックルの上手い先輩のプレイを見ていました。見賢思斉と思える先輩がいたことはとても幸運だっと思います。また、普段プレイしている時には気づかないようなことに気づき大きな成長に繋がったと思います。みんなはプレイしているのに、自分は怪我で出来ず悔しく思うこともありました。はやたや本郷のように才華爛発をしている同級生をみると、天歩艱難が続く自分が嫌になりました。しかし、逆に復帰したら捲土重来を狙ってプレイしてやろうとラグビーへのモチベーションを高く持つことができました。
加曽利組が引退した時、古川先輩に自分の武器を何か一つつくれと言われた時から自分の武器はなんだろうかと考えるようになりました。高堰のような強いタックル、おだちゃんのような鋭いステップ、てっせいのような足の速さが自分にはなく自分も泰山北斗のような存在になりたいと嘆くこともありました。ただ最近わかった事があります。それは自分が器用であることです。悪くいえば器用貧乏ですが、よく言えばユーティリティが高いと言えます。タックルもアタックもパスもそれなりにできる、多分だけどこういう選手って必要だと思うんですよ。
だから最近になってセンターやれと言われた時は自分のユーティリティが評価されてる気がしてうれしかったですね。今なら自分の武器は器用なところと胸を張って言えます。
短い二年半でしたが辛くても乗り越えられたのは、知己朋友の仲間達と支えてくれたラグビー部のOBの方々、また自分の両親のおかげです。本当にありがとうございました。二年半の想いを全部試合にぶつけていきたいです。拙い文章でしたがご清覧頂きありがとうございました。
四字熟語読めましたか??
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カウントダウン ~あと6日~

こんばんは(o゚▽゚)o

10日目は…
部内で一番コーヒーがよく似合う男。髪が天然パーマでちりちりなのを部員によくからかわれているが、本人は気に入っている。ラグビー中は普段とは打って変わって激しい男。鈴木 悠吾(SH)!
こんにちは、矢崎組SHの鈴木悠吾です。
もう花園予選の季節だなんて、本当にあっという間ですね。まずはこの3年間を振り返ろうと思います。
千葉高に入学した時、僕はラグビー部に入るだなんて思ってもいませんでした。なんなら部活をやるかすら迷っていました。しかし昼休みに面白い先輩の熱い勧誘を受けタグラグビーをやるととても楽しくて、同じ中学の48代の若海先輩の影響もあって、結構早い時期に入部を決めました。元々体が小さかったのでコンタクト練習はかなりキツかったのですが、比較的体の小さい先輩が大きい先輩にタックルを決めている姿を見てモチベーションを保っていました。小さい選手が大きな選手に立ち向かってタックルで倒すのはとてもかっこいいですよね。憧れでした。Aメンバーに入れなかった1年生でひたすらやっていた3対3が、思い返すとかなり力になったように感じます。僕はハーフ志望だったのでパス練もかなりやり込みました。付き合ってくれた先輩方ありがとうございました、ってここで言うのも変ですかね。高校から始める場合、パスは単純に努力量を示してくれるのでパスは誰よりも上手くなってやるという気持ちで取り組んでいました。
小柴組が引退し加曽利組が始動して僕は県千葉の9番になってしまいました。それからはパス練により一層真剣に取り組みました。新人戦では散々なプレーでチームに迷惑をかけて、それから春大までは自分がハーフをやっていていいのだろうかかと思い悩む日々でした。春大を迎えて少しずつハーフとしてのプレーが形になってきたのを感じてそこからラグビーが楽しくなりました。もちろん沢山ミスをして落ち込むことはありましたが、すぐに原因と改善方法を考えるようになり、ラグビーに積極的になれました。そして合宿を終え秋になり、花園予選を迎えました。2戦目の対専修大松戸はとても記憶に残っています。個人の問題として後悔しているところがいくつかあったので来年はもっと上手くなって48代の先輩方に認めてもらう、というか、また一緒にラグビーしたいと思わせられるようになろうと心に決めた試合になりました。
そうして矢崎組が始まりました。最初は加曽利組の引退による戦力のダウンに不安を感じ、モチベーションがかなり下がりました。引退後なのにも関わらず相談に乗ってくれた48代の飯塚先輩にはとても感謝しています。浮き沈み激しくてすみません。そして新人戦を迎えて、あまり上手くいった気はしないのに勝ち進んでベスト4になってしまいました。内容よりも結果に目がいき、このまま春大関東目指すかーと思っていた矢先、新型コロナウイルスの流行が始まり部活ができなくなってしまいました。家にボールはあったので感覚を鈍らせないように触るようにしていました。8月は合宿に行けない分沢山練習試合をしました。そしてとうとうこの時期になりました。
僕は感情の起伏が激しく特に落ち込む時はとことん落ち込むので、これまでラグビーを続けられたのも支えてくれた家族やOBの方々や先生方、そして同期の皆のおかげだと思います。ありがとうございました。
最後まで全力で走り切ります。応援よろしくお願いします。
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カウントダウン ~あと7日~

こんばんは!

9日目は…
ラグビーを愛しラグビーに愛された男。千葉県代表として国体に出場したことのある名プレイヤー。熱い指導と冷静な分析でチームを牽引する一方、体育教師としては持ち前の愛されキャラで全校生徒から大人気。為成 伸広監督!

県千葉ラグビー部監督の為成です。赴任して3年目ですが、初めてマネブロに参加させて頂きます。経緯としては個人的にカウントダウン企画が大好きで、一人のファンとしてマネージャーに「監督も参加したい」と頼みこんだことがきっかけです。赴任して3年目を迎えた今年度。3年生と同じ時間を過ごしてきた思いを話させて頂けたらと思います。

現主将である矢﨑の代には途中で辞めたものもいますが、マネージャーを含めた15人とここまで一緒にラグビーをしてきました。彼らと共に県千葉ラグビーを継承し、そして新しいラグビーを創りあげてきました。継承と改革をすることができたのも保護者やOBの皆様、そして前任の先生方など様々な関係者の御協力があったからです。特に県千葉ラグビー部の文化を繋いでくれた47期、48期のメンバーには本当に感謝しています。関係者の皆様ありがとうございました。

矢﨑組の話に戻りますが、彼らが1年生の時は思うように結果が出ない日々が続きました。もちろん1年生ですので通用しない部分は多々ありましたが、1年生大会の決勝で負けた悔しさ、新人戦支部予選で敗退した悔しさを忘れることはないでしょう。それでも彼らは諦めずに練習についてきてくれました。グラウンドでの練習でタックル練習を欠かしたことはありません。フィットネス練習も妥協することなく走り込んできました。今後の人生においても1vs1の本数、22mを往復した本数は胸を張って話せる高校生活の内容だと思います。その他にも自主練習を怠らない彼らは、ついに新人戦で7年ぶりベスト4という結果を残すことができました。その後も日々成長し、関東大会を目指していた矢﨑組でしたが、新型コロナウイルスの影響で大会自体が中止となりました。他競技でもインターハイや甲子園など様々な大会で影響を受け、辞めていく3年生のニュースを至るところで聞きました。そのような中、県千葉ラグビー部3年は全員続ける選択をしました。今後や受験勉強への不安など、休校期間中に各々ラグビーと向き合い考えた結果だと思いますが、全員がグラウンドでラグビーをしている姿を見て胸が熱くなりました。生徒の続けるという選択だけでなく、今日に至るまでラグビーが行うことができているのも、ご支援頂いている保護者をはじめとした関係者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。

最後に3年へ。まずラグビーという競技を選んでくれてありがとう。そして初心者である1年生時から一緒に練習をしてきて、本当にラグビーが上達し、成長を間近で感じることができました。この同じ時間を過ごしてきた中で、君たちがどう思っているかはわからないけど、私は一緒にラグビーをすることができて楽しかったです。ただそんな高校ラグビー生活も残りわずか。日頃から伝えているように、ラグビーができることに感謝し、悔いの残らないよう、最大限練習の成果を発揮して欲しいと思います。練習時のように為さんとして同じグラウンドに立つことはできないけど、最後まで為成監督は一緒に戦いたいと思います。君たちなら県千葉ラグビーを表現できると信じています!



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カウントダウン ~あと8日~

こんばんは(*゚▽゚)ノ

8日目は…
将来は社長になるしかないレベルの遅刻魔。数学と理科が苦手という致命傷を負いつつも、希望進路は理系だそう。考えが顔に出やすく、嘘をついてもすぐバレる憎めないタイプの、アタックが大好きなラガーマン。河内 秋甫(LO)!
皆さんこんにちは!3年で主にLOをやっている河内です。秋大の最初の試合まであと少しとなりまして、時が過ぎるのは本当に早いなーと思っています。
僕が千葉高に入った時、当初は陸上部に入ろうと思っていました。しかし、ちょっとした体験のつもりで行ったラグビー部が雰囲気良くて、体験期間中はかなり緩くやっていたので、これは僕にもできる!と思って入りました。
入ってみて気がついたのですが、なんとラグビーは体をバチバチ当てる激しいスポーツだったのです!1年の夏休み辺りから、思ったりよりもキツイ部活と全然上手くならない自分で部活が嫌になりました。そんなこんなしているうちに2つ上の小柴組の代が終わって一つ上の加曽利組が始まりました。加曽利組になって、僕はその時になってもタックルが怖くて出来ませんでした。ラグビーはどのポジションでもタックルは要求されます。当然、タックルが出来ない以上試合にも出ることはできず、ずっとベンチにいました。ずっとタックルが出来なくて部活が嫌でしたが、なぜかやめるところまではいけなくてとても辛かったです。そんな辛い時期に僕にとって心の支えだったのは沖田先輩という先輩です。僕がしたちょっとしたプレイを褒めてくださって、本当に嬉しくて、救いでした。
時間が経って少しずつ出来ることが増えるようになってもベンチだったので「自分この部活に要らなくない?」という思いがずっとありました。何度も辞めたいと思っても辞めきれず、気がつけば自分たちの代になっていました。レギュラーになって自分の役割を持てたおかげか、この頃から少しずつ部活を楽しめるようになりました。
僕は部活にも勉強にも向き合いきれなかったので、後輩達は一つ一つ目の前のことに向き合えるよう切に願っております。
散々苦しい思い出を語ってしまいましたが、メンバーとしても物資的な面でもとても恵まれた中でラグビーをできました。
ここまで僕が部活をやってこれたのは同期のメンバー、先生方、マネージャーの皆さんのおかげです。特に、何度も悩みを聞いてくれた哲誠と迷惑をかけても気にかけて下さった為成先生には感謝しています。本当に今のメンバーでなければここまでやってこれなかったと思います。
また、保護者、OBの皆様も部活をここまで支えてくださってありがとうございました。
秋大会では仕事を果たしつつ、自分を表現できるように精一杯頑張ります。
読んでいただきありがとうございます!
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カウントダウン ~あと9日~

こんばんは!
7日目は…
四街道出身の核弾頭。四街道民は変人が多いと言われる理由の1人。現在は部活と受験に一喜一憂している。性格や日常生活に難があり多くの人から叱責を浴びることも多い。横川 大輝(FL/WTB)!
49代目矢崎組のFLの横川大輝です。千葉高に入学してからは目にするものの一つ一つがとてつもなく輝いて見えました。その一つがラグビーです。僕の地元の四街道中学校にはラグビー部が存在しないためラグビーを知ることが入学するまでありませんでした。そんな僕を二個上の小柴組で同じ中学の先輩が勧誘してくれました。僕は中学の頃は美術部だったのもあって三年間続けられるか不安でしたがその時の僕はとりあえず新しいことがしたくて勢いで入部してしまいました。
それからの日々は大変で体も心もクタクタな毎日が続きましたがその分自分の成長してきている部分に感動するようになっていきました。たとえ辛いだけの日々が続いても多くの先輩や先生方、仲間が僕の向心力になっていきました。入部当初は手のつかなかった勉強も次第と捗る様になり両立できる様になっていました。
光陰矢の如し、気付いたらあっという間に矢崎組に代が変わっていて驚愕してしまいました。自分が最高学年なんだという自覚が当初は欠けていましたが練習試合をしていくたびにどんどんそれが身についていき県千葉ラグビー部としての誇りを感じるようになりました。そして新人戦、ベスト4を決める学館浦安高校との試合に勝った瞬間僕は心の底から歓喜しました。ベスト4は加曽利組が成し遂げられなかった目標だったからです。惜しくも八千代松蔭高校や専修大松戸高校には敗れましたが春大会でリベンジしてやりたいと思ってました。そんな時期にコロナや自粛要請など自分の力じゃどうしようもならない要因によって今まで当たり前だと思っていたことが覆されていきました。
紆余曲折してしまいましたが、三年間の集大成を見せつける秋大が今目の前に来ています。ここに来るまで多くの挫折を味わってきた僕が思うことはただ一つです。後悔をしない様に県千葉ラグビー部に全力を持って貢献することです。是非とも県千葉ラグビー部を矢崎組を応援して下さい。
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カウントダウン ~あと10日~

こんばんは(*゚▽゚)ノ
6日目は…
練習が続いた木曜日の授業中は7割の確率で寝ているらしい。重度のコミュ障。みんなのママ担当らしい。全国に行った俊足でチームを救う。田中 哲誠(SO)!
矢崎組でSOをやっている田中哲誠です。ラグビー部に入部してからの2年半は、僕にとって様々な経験や思い出を与えてくれた貴重な時間だったように思います。そんな時間も終わりが近づき、最後の大会に向けて活動できる時間も残りわずかとなりました。今日はこの場をお借りして今までの振り返りを書きたいと思います。
ラグビーという自分にとって新しい地で出会った一番最初の壁はやはりタックルでした。走ってくる相手に体をぶつけて止めるという、今まで経験してきたどのスポーツにもない動きに苦戦し、その激しさに怖気付いてしまうことはラグビーをする人の多くが通ってきた道ではないでしょうか。どれだけパスがうまかろうが,どれだけゲインできようが、タックルができない選手は試合には出場できません。僕はタックルに行く恐怖は比較的早く克服できましたが、それでもタックルにうまく入れず、思い悩むことがよくありました。一年生の頃はどうしたらタックルがうまくできるか調べたり、タックルの動画を見て勇気をもらったりして練習していました。また、加曽利組の時にチーム全体でタックルを一から見直し何本もタックル練をしたことは、苦しかった記憶でありながらもそのおかげで成長できた思い出です。
そんなこんなで過ごしてきたこの時間ももうほんのわずかしか残っていません。ここまで進んで来れたのは、僕の目標となる背中を見せてくれた小柴組、加曽利組の先輩方、見えないところでもさまざまな支援をしてくださった保護者,OBの皆様、ラグビーを教えてくれた先生方,
チームをずっと見守り続けてくれたマネージャーの皆様,そして一緒に戦ってきた矢崎組のみんなのおかげです。最後の大会ではお世話になったみなさんに最高のパフォーマンスをお見せすることを約束します。
読んでいただきありがとうございました!
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カウントダウン ~あと11日~

こんばんは。

5日目は…
かつてはグラセンに取り憑かれ、今では青チャートに取り憑かれている。そんな彼の必殺技はライトニング笑アクセル。パンフに書かれた本番になると強くなる男という文言に内心めちゃくちゃ嬉しく思っている。二村 青空(LO)!
49代目矢崎組でLOをしている二村です。
僕はラグビー部で過ごした3年間について話そうと思います。1年生の時は正直に言うと後悔の1年でした。僕がラグビー部への入部を決めた理由には、ラグビーがやりたい!強くなりたい!のような立派な理由などなく、なんとなくただ楽しそうと言う理由だけでした。しかし、いざ入ってみると体の大きな先輩方に向かっていく怖さやその怖さの中でボールを操る難しさに自分は入る部活を間違えたなと何回も思いました。そんな後悔の中で僕がラグビーを続けられた理由は、このまま怖い、難しいで終わっていいのか、弱いメンタルのままでいいのかと思う心と主に領家先輩や加曽利先輩といった優しい先輩方の支えと一緒にその怖さと難しさを乗り越えようとしている部員たちの存在でした。しかし、怖さに怯えているようでは強くなれるわけもなく先輩たちに迷惑ばかりかけてしまいました。そして、そのまま怖さが解消されるわけでもなく小柴組の引退試合まで来てしまいました。先輩たちの最後の勇姿を見て、自分が怖さに怯えていることがとても恥ずかしく、さらに引退するまでこのような思いになれなかった自分を情けなく思い、弱いメンタルを克服してラグビーを頑張ろうと強く思うようになりました。
2年生は克服と苦悩の1年でした。
1年生の時に出来なかったタックルやヒットがだんだんマシになってきてラグビーの怖さを少しずつ克服できてきてラグビーを少しずつ楽しいと思えるようになってきましたが、先輩や1年生の頃からレギュラーをとっている人達には全然及ばずどうしたら強くなれるのかをとても悩みました。だんだん試合には出れるようになってきたものの足を引っ張ってしまうことばかりで1年生の時とは違った苦悩がありました。さらに、後輩も新しく出来たことで先輩として教えることも増え、自分はこのままではいけないと本当に悩みました。ですが、ラグビーに対して後ろ向きな気持ちしか持っていなかった1年生に比べれば、とても大きな前進ができた1年だったと思います。そんな1年をすごし、いよいよ加曽利組の最後の試合となりました。最後の試合では、自分も選手として参加することができ、今回こそは専松を下してやるという意気込みで試合をしました。しかし、結果は敗北に終わり、先輩たちの最後だというのに専松に対して何も出来なかった自分をとても情けなく思いました。また、1年生の時からとても親切に指導してくれた加曽利先輩達が引退してしまうことがその敗北で改めて実感でき、これからは自分たちが部を引っ張って行くのだと強く感じるようになりました。
そして、最後の年である3年生になりました。3年生はコロナウイルスのせいで部活が例年通りとはいかず1、2ヶ月部活ができない時期もありました。しかし、その部活停止期間はコロナが明けた後どのように部活をしていくのか考えるいい機会でもあり、さらに、普通にラグビーができることの喜びを実感する時でもありました。実際、コロナ期間が終わった後は、ラグビーに対しての気持ちがより強くなったからか、より積極的にプレーするようになり、ラインブレイクをする機会が増えてきました。今では、1年生の頃では信じられないくらいラグビーを楽しむことができています。弱いメンタルも少しは改善できたかな?と思います。そうであると思いたいです笑
長々と語ってきた、僕の県千葉でのラグビー生活ももう数えるほどで終わってしまいます。最後の試合では自分のやってきたことを全て出し切って、今まで支えてくれた先輩方や先生方、OB・保護者の方々、マネージャー、そして3年間ともに部活をやってきた部員達に感謝の気持ちを伝えられるように精一杯頑張ります。応援よろしくお願いします。
読んでいただきありがとうございます。
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