カウントダウン ~あと7日~

こんばんは!

9日目は…
ラグビーを愛しラグビーに愛された男。千葉県代表として国体に出場したことのある名プレイヤー。熱い指導と冷静な分析でチームを牽引する一方、体育教師としては持ち前の愛されキャラで全校生徒から大人気。為成 伸広監督!

県千葉ラグビー部監督の為成です。赴任して3年目ですが、初めてマネブロに参加させて頂きます。経緯としては個人的にカウントダウン企画が大好きで、一人のファンとしてマネージャーに「監督も参加したい」と頼みこんだことがきっかけです。赴任して3年目を迎えた今年度。3年生と同じ時間を過ごしてきた思いを話させて頂けたらと思います。

現主将である矢﨑の代には途中で辞めたものもいますが、マネージャーを含めた15人とここまで一緒にラグビーをしてきました。彼らと共に県千葉ラグビーを継承し、そして新しいラグビーを創りあげてきました。継承と改革をすることができたのも保護者やOBの皆様、そして前任の先生方など様々な関係者の御協力があったからです。特に県千葉ラグビー部の文化を繋いでくれた47期、48期のメンバーには本当に感謝しています。関係者の皆様ありがとうございました。

矢﨑組の話に戻りますが、彼らが1年生の時は思うように結果が出ない日々が続きました。もちろん1年生ですので通用しない部分は多々ありましたが、1年生大会の決勝で負けた悔しさ、新人戦支部予選で敗退した悔しさを忘れることはないでしょう。それでも彼らは諦めずに練習についてきてくれました。グラウンドでの練習でタックル練習を欠かしたことはありません。フィットネス練習も妥協することなく走り込んできました。今後の人生においても1vs1の本数、22mを往復した本数は胸を張って話せる高校生活の内容だと思います。その他にも自主練習を怠らない彼らは、ついに新人戦で7年ぶりベスト4という結果を残すことができました。その後も日々成長し、関東大会を目指していた矢﨑組でしたが、新型コロナウイルスの影響で大会自体が中止となりました。他競技でもインターハイや甲子園など様々な大会で影響を受け、辞めていく3年生のニュースを至るところで聞きました。そのような中、県千葉ラグビー部3年は全員続ける選択をしました。今後や受験勉強への不安など、休校期間中に各々ラグビーと向き合い考えた結果だと思いますが、全員がグラウンドでラグビーをしている姿を見て胸が熱くなりました。生徒の続けるという選択だけでなく、今日に至るまでラグビーが行うことができているのも、ご支援頂いている保護者をはじめとした関係者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。

最後に3年へ。まずラグビーという競技を選んでくれてありがとう。そして初心者である1年生時から一緒に練習をしてきて、本当にラグビーが上達し、成長を間近で感じることができました。この同じ時間を過ごしてきた中で、君たちがどう思っているかはわからないけど、私は一緒にラグビーをすることができて楽しかったです。ただそんな高校ラグビー生活も残りわずか。日頃から伝えているように、ラグビーができることに感謝し、悔いの残らないよう、最大限練習の成果を発揮して欲しいと思います。練習時のように為さんとして同じグラウンドに立つことはできないけど、最後まで為成監督は一緒に戦いたいと思います。君たちなら県千葉ラグビーを表現できると信じています!



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明日からも、是非ご覧ください(ノ'ω')ノ

カウントダウン ~あと8日~

こんばんは(*゚▽゚)ノ

8日目は…
将来は社長になるしかないレベルの遅刻魔。数学と理科が苦手という致命傷を負いつつも、希望進路は理系だそう。考えが顔に出やすく、嘘をついてもすぐバレる憎めないタイプの、アタックが大好きなラガーマン。河内 秋甫(LO)!
皆さんこんにちは!3年で主にLOをやっている河内です。秋大の最初の試合まであと少しとなりまして、時が過ぎるのは本当に早いなーと思っています。
僕が千葉高に入った時、当初は陸上部に入ろうと思っていました。しかし、ちょっとした体験のつもりで行ったラグビー部が雰囲気良くて、体験期間中はかなり緩くやっていたので、これは僕にもできる!と思って入りました。
入ってみて気がついたのですが、なんとラグビーは体をバチバチ当てる激しいスポーツだったのです!1年の夏休み辺りから、思ったりよりもキツイ部活と全然上手くならない自分で部活が嫌になりました。そんなこんなしているうちに2つ上の小柴組の代が終わって一つ上の加曽利組が始まりました。加曽利組になって、僕はその時になってもタックルが怖くて出来ませんでした。ラグビーはどのポジションでもタックルは要求されます。当然、タックルが出来ない以上試合にも出ることはできず、ずっとベンチにいました。ずっとタックルが出来なくて部活が嫌でしたが、なぜかやめるところまではいけなくてとても辛かったです。そんな辛い時期に僕にとって心の支えだったのは沖田先輩という先輩です。僕がしたちょっとしたプレイを褒めてくださって、本当に嬉しくて、救いでした。
時間が経って少しずつ出来ることが増えるようになってもベンチだったので「自分この部活に要らなくない?」という思いがずっとありました。何度も辞めたいと思っても辞めきれず、気がつけば自分たちの代になっていました。レギュラーになって自分の役割を持てたおかげか、この頃から少しずつ部活を楽しめるようになりました。
僕は部活にも勉強にも向き合いきれなかったので、後輩達は一つ一つ目の前のことに向き合えるよう切に願っております。
散々苦しい思い出を語ってしまいましたが、メンバーとしても物資的な面でもとても恵まれた中でラグビーをできました。
ここまで僕が部活をやってこれたのは同期のメンバー、先生方、マネージャーの皆さんのおかげです。特に、何度も悩みを聞いてくれた哲誠と迷惑をかけても気にかけて下さった為成先生には感謝しています。本当に今のメンバーでなければここまでやってこれなかったと思います。
また、保護者、OBの皆様も部活をここまで支えてくださってありがとうございました。
秋大会では仕事を果たしつつ、自分を表現できるように精一杯頑張ります。
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カウントダウン ~あと9日~

こんばんは!
7日目は…
四街道出身の核弾頭。四街道民は変人が多いと言われる理由の1人。現在は部活と受験に一喜一憂している。性格や日常生活に難があり多くの人から叱責を浴びることも多い。横川 大輝(FL/WTB)!
49代目矢崎組のFLの横川大輝です。千葉高に入学してからは目にするものの一つ一つがとてつもなく輝いて見えました。その一つがラグビーです。僕の地元の四街道中学校にはラグビー部が存在しないためラグビーを知ることが入学するまでありませんでした。そんな僕を二個上の小柴組で同じ中学の先輩が勧誘してくれました。僕は中学の頃は美術部だったのもあって三年間続けられるか不安でしたがその時の僕はとりあえず新しいことがしたくて勢いで入部してしまいました。
それからの日々は大変で体も心もクタクタな毎日が続きましたがその分自分の成長してきている部分に感動するようになっていきました。たとえ辛いだけの日々が続いても多くの先輩や先生方、仲間が僕の向心力になっていきました。入部当初は手のつかなかった勉強も次第と捗る様になり両立できる様になっていました。
光陰矢の如し、気付いたらあっという間に矢崎組に代が変わっていて驚愕してしまいました。自分が最高学年なんだという自覚が当初は欠けていましたが練習試合をしていくたびにどんどんそれが身についていき県千葉ラグビー部としての誇りを感じるようになりました。そして新人戦、ベスト4を決める学館浦安高校との試合に勝った瞬間僕は心の底から歓喜しました。ベスト4は加曽利組が成し遂げられなかった目標だったからです。惜しくも八千代松蔭高校や専修大松戸高校には敗れましたが春大会でリベンジしてやりたいと思ってました。そんな時期にコロナや自粛要請など自分の力じゃどうしようもならない要因によって今まで当たり前だと思っていたことが覆されていきました。
紆余曲折してしまいましたが、三年間の集大成を見せつける秋大が今目の前に来ています。ここに来るまで多くの挫折を味わってきた僕が思うことはただ一つです。後悔をしない様に県千葉ラグビー部に全力を持って貢献することです。是非とも県千葉ラグビー部を矢崎組を応援して下さい。
読んでいただきありがとうございます!
明日からも、是非ご覧ください(ノ'ω')ノ

カウントダウン ~あと10日~

こんばんは(*゚▽゚)ノ
6日目は…
練習が続いた木曜日の授業中は7割の確率で寝ているらしい。重度のコミュ障。みんなのママ担当らしい。全国に行った俊足でチームを救う。田中 哲誠(SO)!
矢崎組でSOをやっている田中哲誠です。ラグビー部に入部してからの2年半は、僕にとって様々な経験や思い出を与えてくれた貴重な時間だったように思います。そんな時間も終わりが近づき、最後の大会に向けて活動できる時間も残りわずかとなりました。今日はこの場をお借りして今までの振り返りを書きたいと思います。
ラグビーという自分にとって新しい地で出会った一番最初の壁はやはりタックルでした。走ってくる相手に体をぶつけて止めるという、今まで経験してきたどのスポーツにもない動きに苦戦し、その激しさに怖気付いてしまうことはラグビーをする人の多くが通ってきた道ではないでしょうか。どれだけパスがうまかろうが,どれだけゲインできようが、タックルができない選手は試合には出場できません。僕はタックルに行く恐怖は比較的早く克服できましたが、それでもタックルにうまく入れず、思い悩むことがよくありました。一年生の頃はどうしたらタックルがうまくできるか調べたり、タックルの動画を見て勇気をもらったりして練習していました。また、加曽利組の時にチーム全体でタックルを一から見直し何本もタックル練をしたことは、苦しかった記憶でありながらもそのおかげで成長できた思い出です。
そんなこんなで過ごしてきたこの時間ももうほんのわずかしか残っていません。ここまで進んで来れたのは、僕の目標となる背中を見せてくれた小柴組、加曽利組の先輩方、見えないところでもさまざまな支援をしてくださった保護者,OBの皆様、ラグビーを教えてくれた先生方,
チームをずっと見守り続けてくれたマネージャーの皆様,そして一緒に戦ってきた矢崎組のみんなのおかげです。最後の大会ではお世話になったみなさんに最高のパフォーマンスをお見せすることを約束します。
読んでいただきありがとうございました!
明日からも、是非ご覧ください(´▽`)

カウントダウン ~あと11日~

こんばんは。

5日目は…
かつてはグラセンに取り憑かれ、今では青チャートに取り憑かれている。そんな彼の必殺技はライトニング笑アクセル。パンフに書かれた本番になると強くなる男という文言に内心めちゃくちゃ嬉しく思っている。二村 青空(LO)!
49代目矢崎組でLOをしている二村です。
僕はラグビー部で過ごした3年間について話そうと思います。1年生の時は正直に言うと後悔の1年でした。僕がラグビー部への入部を決めた理由には、ラグビーがやりたい!強くなりたい!のような立派な理由などなく、なんとなくただ楽しそうと言う理由だけでした。しかし、いざ入ってみると体の大きな先輩方に向かっていく怖さやその怖さの中でボールを操る難しさに自分は入る部活を間違えたなと何回も思いました。そんな後悔の中で僕がラグビーを続けられた理由は、このまま怖い、難しいで終わっていいのか、弱いメンタルのままでいいのかと思う心と主に領家先輩や加曽利先輩といった優しい先輩方の支えと一緒にその怖さと難しさを乗り越えようとしている部員たちの存在でした。しかし、怖さに怯えているようでは強くなれるわけもなく先輩たちに迷惑ばかりかけてしまいました。そして、そのまま怖さが解消されるわけでもなく小柴組の引退試合まで来てしまいました。先輩たちの最後の勇姿を見て、自分が怖さに怯えていることがとても恥ずかしく、さらに引退するまでこのような思いになれなかった自分を情けなく思い、弱いメンタルを克服してラグビーを頑張ろうと強く思うようになりました。
2年生は克服と苦悩の1年でした。
1年生の時に出来なかったタックルやヒットがだんだんマシになってきてラグビーの怖さを少しずつ克服できてきてラグビーを少しずつ楽しいと思えるようになってきましたが、先輩や1年生の頃からレギュラーをとっている人達には全然及ばずどうしたら強くなれるのかをとても悩みました。だんだん試合には出れるようになってきたものの足を引っ張ってしまうことばかりで1年生の時とは違った苦悩がありました。さらに、後輩も新しく出来たことで先輩として教えることも増え、自分はこのままではいけないと本当に悩みました。ですが、ラグビーに対して後ろ向きな気持ちしか持っていなかった1年生に比べれば、とても大きな前進ができた1年だったと思います。そんな1年をすごし、いよいよ加曽利組の最後の試合となりました。最後の試合では、自分も選手として参加することができ、今回こそは専松を下してやるという意気込みで試合をしました。しかし、結果は敗北に終わり、先輩たちの最後だというのに専松に対して何も出来なかった自分をとても情けなく思いました。また、1年生の時からとても親切に指導してくれた加曽利先輩達が引退してしまうことがその敗北で改めて実感でき、これからは自分たちが部を引っ張って行くのだと強く感じるようになりました。
そして、最後の年である3年生になりました。3年生はコロナウイルスのせいで部活が例年通りとはいかず1、2ヶ月部活ができない時期もありました。しかし、その部活停止期間はコロナが明けた後どのように部活をしていくのか考えるいい機会でもあり、さらに、普通にラグビーができることの喜びを実感する時でもありました。実際、コロナ期間が終わった後は、ラグビーに対しての気持ちがより強くなったからか、より積極的にプレーするようになり、ラインブレイクをする機会が増えてきました。今では、1年生の頃では信じられないくらいラグビーを楽しむことができています。弱いメンタルも少しは改善できたかな?と思います。そうであると思いたいです笑
長々と語ってきた、僕の県千葉でのラグビー生活ももう数えるほどで終わってしまいます。最後の試合では自分のやってきたことを全て出し切って、今まで支えてくれた先輩方や先生方、OB・保護者の方々、マネージャー、そして3年間ともに部活をやってきた部員達に感謝の気持ちを伝えられるように精一杯頑張ります。応援よろしくお願いします。
読んでいただきありがとうございます。
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カウントダウン ~あと12日~

こんばんは!

4日目は…
数学教師とラグビー部の顧問を両立させる仕事人。噂では学生時代はトライゲッターとして大活躍していたたらしいが、実態は不明。時に優しく、時に厳しくチームを底から支えている。我が部の第二顧問、古田 学先生!

県千葉ラグビー部顧問の古田です。 県千葉に3年前に赴任して、 その4月に入部してきたのが矢崎組のメンバーです。 ということで、ある意味同期なので、このカウントダウンに登場しました。 矢崎組は当初は15人揃い、OB会からは焼き肉に連れて行ってもらいました。身体の大きい子が多く、野球やバスケなど他のスポーツを経験してきた運動能力の高い子もおり、2年後は勝負できると期待が膨らみました。

個性的なメンバーが多くいろいろな問題が起こりましたが、矢崎組は順調に成長しました。日々のコンタクト練習でディフェンス力を上げ、新人戦で7年ぶりのベスト4に入りました。3位決定戦の専大松戸高校戦は前半の入りがよく、健闘しましたが、後半にタックルが甘くなり突き放されました。敗れたとはいえ、通用した部分も多く、自信をつけた大会となりました。春の関東予選で、 久々の関東大会出場を目標に頑張っていこうと思っていた矢先に、コロナ渦が起こりました。

ラグビーのできない期間が長く続きました。私にとっても、 大学生のときに初めて菅平の合宿に行って以来、約40年ぶりの菅平に行かない夏でした。合宿や遠征での県外の強豪との練習試合もできず、 思い通りに行かないことばかりでしたが、最後の全国予選が実施されることは本当に良かったと思います。 

さて、いよいよ初戦が近づいてきました。ラグビーができること、 それに保護者やOBの方々の応援や支援に感謝し、 これまでに積み上げてきた力を発揮してください。千葉高らしい集中力と粘り強さで勝利をつかみましょう。



読んでいただきありがとうございました!

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壮行会を開いていただきました!

こんばんは!

今日は25名近くのOBのみなさん、そして保護者の皆さんに来ていただき、全国予選壮行会を開いていただきました(*´ω`*)

午前中はOBの皆さんとの30分ハーフの試合を行いました。

2週間後に初戦を控える中、15vs15で試合を行える最後のチャンスでした。OBの皆さんに今まで練習してきた成果を見せると共に、残り少ない期間へ、現役部員にもとても良い刺激になったことと思います。参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました(*- -)

お昼には、壮行会としてお弁当を差し入れていただきました。

OB会、保護者会からも応援の言葉を頂き、部員・マネージャー一同身が引き締まる思いです。例年とは違う形にはなりましたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました( *˘ ॑ )

これからも矢崎組へのご支援よろしくお願いします!

ではまた更新しますね˙*)

カウントダウン ~あと13日~

こんばんは(*´︶`*)

3日目は…
体重+30kg!その容姿の変貌っぷりは部内最強。管理厚生委員長として日々清掃を呼びかけているがみんなにはなかなか認めてもらえない。練習後のタックル練は欠かさない男。高堰 翔吾(HO)!
矢崎組でHOをしている高堰翔吾です。入部してから約2年半、本当にあっという間だったように感じます。これから今までのことについて話したいと思います。
僕は、中学の頃は卓球部で、初めは高校でも卓球を続けようかと考えていました。しかし、ラグビー部のあの勧誘を受け、行ってみたら雰囲気が良くて意外にも楽しかったのでそれからラグビー部に通い、入部を決めました。入部当初は体が小さくても勢いでどうにかなるものかと思っていました。僕は比較的体を当てるのが苦手ではなかった(むしろ好きだった)のでタックルがしたいという思いを持って練習していました。けれども、現実はそんなに甘くはありませんでした。体重差もあり、タックルしても弾き飛ばされるばかりでタックルするのが嫌な時期もありました。それでも力強いタックルをする先輩達に憧れ、練習量だけは誰にも負けないくらいやってやろうと思っていました。また、小柴組の最後の大会が近づいていた頃、同じ学年の仲間に先を越され、周りが先輩達と混ざって練習している中自分は全然成長出来ず、その中に入れませんでした。その時は本当に悔しかったです。そんなこともあって、少しでも多く食べたり、湯船に浸かりながらその日の反省をしたり、今まで以上に部活を意識するようになりました。体重が伸び悩んでいた時期も頑張れたのはそんな思いがあったからだと思っています。
自分の中で転機と思われるのは、代が変わって加曽利組が始まってからです。今まで1年同士でやることが多かった自分にとって先輩と一緒に練習することは不安でした。先輩が怖いというより自分がミスをするのが怖く、積極的にプレーできませんでした。そんな中でもうまくやっていけたのは先輩達のおかげでした。その頃の自分はラグビーへの理解が足らず、何をすべきかわからないことだらけでした。だからたくさん先輩を頼りました。ラグビー中は厳しい先輩も優しく教えてくれて、そのおかげでその時期が1番成長できたと感じています。本当に感謝しています。
自分はラグビーにおいて特に重要なのは自信を持つことだと考えています。自分より圧倒的に強いと思っていた相手でも強く踏み込んでタックルをしてみれば案外うまくいったりするものです。かくいう僕は自分のタックルに全然自信が持てずにいますけれども(笑)。まあでもその分タックル練だけはたくさんやってきたので試合ではぶちかましてこようと思います。
最後の大会が近づき、ラグビー部で過ごせる日々も残り少なくなりました。途中で2人部活をやめてしまったのはとても残念でしたが、残った13人の仲間とここまでやってこれて本当に良かったです。最後に、たくさんお世話になった先輩方、今まで支えてくださった保護者、OBの方々、たくさん指導してくださった顧問の先生方、1番近くでチームを支えてくれたマネージャー、そして一緒に戦ってきたチームメイトには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
読んでいただきありがとうございました!
明日からも、是非ご覧ください(´▽`)

カウントダウン ~あと14日~

こんばんは!

2人目は… 
いつ見ても基本は笑顔。最大の武器はタックルの強さのかわいい雪だるま系ラガーマン。彼のお腹の柔らかさはラグビー部でも随一。ラグビー部に数々の事件をもたらした張本人。清宮 健司(PR)!



プロップの清宮健司です。
遂に秋大の時期になりました。高校生活の中心となっていた県千葉ラグビー部も、この大会が終われば引退します。そこで今回は僕のラグビー部での3年間を振り返ってみようかと思います。
高校入学時、僕は運動部に入ろうとは全く思っておらず、ひたすら勉強を頑張ろうと思っていました。なのに先輩方から勧誘されたからなのか、ラグビー部の雰囲気が良かったのか、今になっては覚えてませんが、僕はなぜかラグビー部の門を叩いてました。
初めのうちは1年生だけの練習で遊びのような感覚で楽しくラグビーをしていたのですが、だんだんと練習がハードになっていくにつれ、練習に対して憂鬱になっていきました。その頃は雨天で練習がウエイトになっただけでもその日は救われた気になっていましたし、練習の苦しさ故に出来ないことから逃げ、克服しようともしていませんでした。
転機が訪れたのは2個上の代の小柴組の秋大でした。相手の幕総は明らかにこちらよりも格上であり、勝つのは厳しかったのですが、小柴組の先輩方は最後まで諦めずに60分間グラウンドで戦い続けました。結果は大差で負けてしまったのですが、僕はその先輩方の姿に心を打たれました。
それからは練習に対するモチベーションが上がっていきました。しかし、なかなか上手くいかず、周りの仲間達が活躍する一方、何もできない僕に焦りや悔しさが募っていったのを覚えています。ただ、それでも仲間たちと研鑽する中で、入部当初とはまた違ったラグビーの楽しさが生まれたのも事実です。3年になってスタメンに選ばれてからはより一層練習に対して積極的になり、楽しんだと思います。
そして気づけばもうこの時期。あっという間だけれども、様々なことがあった濃密な3年間でした。練習は逃げ出したくなるほどつらいものでしたが、ここまで続けてこれたのも大好きな同学年の仲間達、尊敬する先輩方、日々成長していく後輩達、熱心に指導して下さる先生方、そしていつも支えてくれる家族のおかげです。この人たちのため、そして自分のためにも、秋大では悔いの残らないよう全力でプレイしたいと思います。
読んでいただきありがとうございました!
明日からも、是非ご覧ください(ノ'ω')ノ
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