髙橋組カウントダウン -あと5日-





こんばんは!
4日目は李拓翔(No.8)!
トレーニングルームには来るがウエイトをしているのを誰も見たことがない。試合ではお得意のマシュマロタックルで相手を突き刺すトリリンガルムーミンボーイ。



3年No.8の李拓翔です。最後の大会に際しまして、拙い文章ではありますが、自らのラグビー部との思い出を綴っていきたいと思います。

僕達の高校生活の始まりは通常よりは遅い6月からでした。新型コロナウイルスによる全国一斉休校の影響で、学校に行ってクラスの同級生と初めて顔を合わせたのが6月で、部活の勧誘もその頃始まりました。当初はラグビー部の存在こそ知っていましたが、自分とは一切縁のないものだと思っていました。ラグビー部の勧誘は新入生の間で噂になるほどしつこく、もれなく勧誘された僕は友達と一緒に体験入部をしました。初めて参加したパス練習では、先輩たちの声掛けで雰囲気がとても明るく、楽しかったことを覚えています。その後中学の同級生を誘ったりして練習に何度か参加するうちに、かっこいい先輩たちと練習の楽しい雰囲気に惹かれて、ラグビー部に入るという決断をしました。

矢崎組の先輩方と過ごした期間は短かったですが、毎日の練習や練習試合での新しい発見などラグビーとの関わりに溢れていて、とても濃い時間だったと思います。矢崎組がベスト4目前で学館浦安に3点差で負けた時も、3年生が引退するということが信じられなくて、コート外でただ応援していただけの身でしたが悔しくて泣いていました。

内田組が始まった当初は人数も14人のみで、矢崎組での活気のあった練習との落差を感じていました。その頃になって初めて試合にも出て、まともにコンタクトプレーをするようになり、今まであまり感じていなかったラグビーの「痛い部分」に触れだしたと同時に、弾丸のような内田先輩や筋骨隆々の野口先輩をはじめとする先輩方とのヒット練やタックル練を苦痛に感じるようになっていました。春休みの終盤には練習試合が3~4日続いた時があり、正直心身ともにへとへとでした。その後の春の関東大会予選では、ベスト8手前の八千代松陰戦で負けたことによって秋の大会のシードを失ったので、9月から予選リーグが始まることになりました。

2年生になって、新しく1年生が入部したことで、部も賑やかになり部活へのモチベーションも上がっていたと思います。しかしその後、退部者が出たり、練習や練習試合がほぼ毎日あったりしたことで部活へのモチベーションも下がり、辞めたいと思ったことが何度もありました。そんなこんなで夏休みに突入し、練習や試合に取り組んでいる間はそのような考えも忘れていて、気づけば3年生にとっては最後の大会がある秋になっていました。決勝トーナメントでは芝柏に僅差で勝ち、次の東海大浦安に勝てば学館浦安と試合ができるというところまでいきましたが、東海大浦安戦が内田組最後の試合となってしまいました。

自分たちの代が始まってからは、今まであまり活躍できなかった自分が、ゲインできたり、タックルに上手く入ることができるようになったりして、チームを支える存在になれた気がして嬉しかったです。しかし人数は依然として少なく、新人戦でも思うような成績を残せずに、あっという間に冬が終わりました。ラグビー部としては2度目の春、新入部員との出会いを楽しみにしていましたが、勧誘の甲斐もなく新入部員は0人という結果になってしまいました。そんな中でも高橋組は関東予選で去年の関東予選で負けた八千代松陰に何とか勝つことができ、ベスト4という好成績を収めることが出来ました。憧れであった矢崎組と同じ成績であるベスト4に入ることができた喜びは今でも忘れません。

思い返してみると、高校生活はずっとラグビーと共にあって、辛い時や辞めたくなった時は数え切れない程ありますが、ここまで続けてこられたのも、愉快で個性溢れる3年生や、色々ありながらもこれまで続けてきてくれた2年生、いつもサポートして下さったマネージャー、助っ人として何度も練習試合に参加していただいたOBの方々、多くのアドバイスや技術指導をして下さった森田先生、部員をいつも気にかけて下さった池辺先生や村澤先生、ラグビーの楽しさを部員と一緒にプレーしながら教えて下さった為成先生や練習を見に来て下さった古田先生などの多くの人の支えがあったからだと思います。

気が強くトーク力に定評のある佳士朗、ラクビー部では生き生きとしているオチ、人間関係のだらしないガイ、いつもニコニコでパンパンのヒロキ、なんだかんだチームに貢献するヨネ、チームに必要な助っ人イワサ、多分ラグビーとは縁がありそうなレン、みんなで一致団結して最後の大会では、悔いの残らない試合をします。応援よろしくお願いします!


読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!

髙橋組カウントダウン -あと6日-


こんばんは!
3日目は米田和博(PR)!
普段から何を考えているかわからない彼は、よく意味不明な行動をとる。しかしラグビーとなると圧倒的パワーで相手を粉砕する心優しきモンスター。県千葉伝統のモールは彼なくしては成り立たない。


こんにちは。高橋組の米田和博です。
毎年先輩方のカウントダウンを見てこのブログを書くのは遠い未来のことだと思っていましたが、とうとう自分達の代の番が来てしまいました。時の流れの早さを痛感しています。
今だからこそこんなことを言えますが思い返せば、ラグビー部で過ごす時間全てが辛く、早く引退できればいいのにと考えていた時期もありました。そんな中でも支えてくれた人や仲間達への感謝の気持ちを込めつつ、このブログを書くことにします。
昔から僕は自分の体格に自信があり、それこそラグビーといったコンタクトスポーツに向いていると薄々思っていました。(若気の至り。)時は流れ、高校に入学し、矢崎組の先輩方のラグビーを楽しむ姿に魅了され、勢いに身をまかせ、誰よりも早く入部しました。この頃の何も知らなかった僕は今では考えられないくらい自信とエネルギーに満ち溢れていました。(きっと休校期間中に有り余ったもの。)この頃の軽率な態度のせいでみんなの不信感を募らせてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。とにかく根拠の無い自信と後先考えない行動でこの時期はなんとかしていたように思えます。ところが、そうこうしているうちに僕の部内での雲行きが怪しくなってきました。まず足首を捻挫し1ヶ月半ほどラグビーの練習に参加できませんでした。この間に部員達との技術の差は開いていき、とても楽観的なことを言っている場合ではなくなっていました。初めはなんとなく練習がめんどくさいから無理するのをやめようと思っていましたが、塵も積もれば山となるとはまさにこのことで気付いたときには簡単に取り戻せないほどの差が生まれていました。そんな中、矢崎組が引退し、内田組が始動しました。内田組になってからは部員が一気に矢崎組のときの半分になり、自動的に試合に出ることになりました。しかし、僕はタックルはおろか体を当てることさえできず、毎日古田先生や為成先生、内田組の先輩に怒鳴られてばかりで自分の無力さに打ちひしがれていました。特に先生方には入部した当初から「体重が重くていいね。期待しているぞ。」と期待していただいていた分、余計に悔しかったです。この時期は毎日部活に行くのが本当に苦痛でした。自分の現状を何一つ変えることができずに、季節は流れていき、2年生の秋を迎えました。しかし、少しずつですが、自分の中で良い兆しが見えていたように思います。特に内田組の壮行会で古田先生賞を受賞したとき、まだ自分にはチャンスが残っているのだと、もう一度みんなと同じ熱量を持って戦いたいと強く思ったことは忘れられません。古田先生僕を選んでくださってありがとうございました。その少し後、内田組の花園予選の初戦、千葉工業戦でチーム1本目のトライを取った時、僕はラグビーが好きになりました。あの日、今日のヒーローはお前だと言ってくれた野口先輩、笑顔でボールを拾いに来た矢野先輩、俺がトライする姿を見て泣いた雅日、自分の差し入れを「やるよ」とくれた渡邉先輩、これらどの瞬間も今も鮮明に覚えています。「やめなくてよかった、最後まで戦い抜こう」そう決意した瞬間でもありました。東海大浦安戦の日のアップの時、内田先輩と野口先輩に「米田、今ラグビー好き?」と聞かれ、「もちろんです。まだまだ一緒にラグビーやりましょう。」と僕は答えました。小説やドラマでこういった類いの発言をすると所謂フラグとなってしまいがちですが、実際この日が内田組最後の日となってしまったので、自分が気を利かせて他の応答をすれば良かったとずっと後悔しています。高橋組が始動してからは新しい悩みや不安が増えました。端的に言うと、来て欲しい人に来てもらえず、来なくていい人に限って来てしまうといったところでしょうか。それでも春の大会では組み合わせや対戦相手の棄権などさまざまな要因が積み重なって県千葉ラグビー部の目標であるベスト4まで手が届くところまで来ました。ベスト4を決めた八千代松蔭戦のときが部員全員が一番一致団結したときではないかと思っています。そこから、セブンスの大会、夏休み、市内大会を経て(途中コロナや体調不良、怪我等で離脱する人もいましたが)ここまで来ました。ここまでの二年間が一瞬で過ぎ去ったので、残りの二週間は瞬きする間に迎えているのでしょう。
ここで、みんなへのメッセージを書こうと思います。
磯金。いつも真面目に筋トレしてストイックに自分の役割を全うしていてとても尊敬しています。ウエイトのペアとして、PRの相棒として、本当にありがとう。
優太郎。辞めたいと思っていた気持ちよくわかります。でもここまでついてきてくれてありがとう。腰気をつけてね。
柴山。いつも体育祭実行委員大変ですね。嫌なことを耐えて頑張る姿が印象的でした。頼りない先輩なのに敬ってくれてありがとう。
慧士。もう少し本気の顔見たいです。多分全力じゃないのに上手なプレーができるのだから、本気出したら絶対強いはず。最後までいてくれてありがとう。
健太。先輩や先生との接し方が一番上手いのではないでしょうか?健太の👍嫌いじゃなかったです。スローをどんどん上達させてくれてありがとう。
新。よく笑ってよく泣いてるイメージが強いです。高橋組の最後は笑って終わろう!なんでも言ってくれてありがとう。肩抜けないようにね。
もっちー。最初誰かわからなくてごめんなさい。スクラムのFLの押し方、最初からめちゃくちゃ良かったです。仲間になってくれてありがとう。
佳士朗。塾行く前に公園でコンビニのご飯食べる時間が好きでした。試合中に何回も怒鳴らせてごめん。それでも優しくしてくれてありがとう。
雅日。なんでもできるの尊敬してます。自分は不器用なので信じられません。工業戦のトライで泣いてくれてありがとう。
大樹。唯一の外進生として接しやすかったです。二人で豚骨ラーメンを食べに行ったことが懐かしいです。構ってくれてありがとう。
ザッキャ。去年は同じクラスで少し仲良くなれたかと僕は思います。そちらはどうでしょうか?退部しても試合に出続けてくれてありがとう。
岩佐。去年も隣のクラスでも仲良くしてくれて修学旅行も少し一緒にまわれたのが楽しかったです。ここまで一緒に戦ってくれてありがとう。
タクト。進撃の巨人をネタバレしたこと反省しています。ごめんなさい。試合中、スクラムやラインアウトで引っ張ってくれてありがとう。
越智。越智の生き方が一番好きです。傷心の僕を冗談で一蹴してくれて心が軽くなりました。みんなを奮い立たせてくれてありがとう。
マネージャーのみなさん。テーピングのおかげで試合に出られました。いつも優しくしてくれてありがとう。
先生方、いつもご指導いただきありがとうございます。
お母さん。洗濯、弁当作り、2年半毎日やってくれてありがとう。心配しながらも応援してくれてありがとう。いつも泥だらけで、弁当も量が多く大変だったと思います。ここまでできたのは、お母さんの協力があったからです。ありがとうございました。
今は県千葉ラグビー部に関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回のブログを書くにあたって、何を書こうかずっと考えていたのですが、いざ書き始めてみると今まで見てきた景色がありありと目に浮かぶものですね。歴代の先輩達がそれぞれの思い出を書いているのを見て文才のない自分も書けるか不安でしたがどうにか書けました。
今ではラグビー部で過ごす全ての時間がとてつもなく楽しくまだまだ引退したくないと考えています。最後の大会を迎える直前で自分の課題も残っていますが、最後まで戦い抜きます。笑うつもりでいてもきっと泣くと思いますが、悔し泣きでなく嬉し泣きで最後の瞬間を迎えたいです。
長文となってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。3年米田でした。


ありがとうございました!明日もお楽しみに!

髙橋組カウントダウン -あと7日-





こんばんは!

2日目は岩佐達樹(FL)!
ラグビー歴9年の大ベテラン。ラグビーが嫌いで高校では水泳部に入部するも、部員の情熱に負けて助っ人参加を決意。潜水タックルでチームを引っ張る仕事人。



助っ人として2年の冬からラグビー部に参加させてもらっている岩佐です。
ラグビーは小学1年生から中学2年生までクラブチームでやっていました。そこら辺の高校ラグビー部員より楕円球と触れ合ってきた期間は長いのですが、8年間圧倒的モチベーションの低さでラグビーをやっていたので、全く強くありません。こんなに長い期間やっていたにも関わらず、ここまで弱いのは相当才能がなかったのでしょう。

岩佐少年は、外で鬼ごっこをするよりも、室内でお絵描きをしているほうが好きでした。そんな息子をみて、両親はなにかスポーツをやらせようと考え、僕を佐倉市ラグビースクールに連れて行ったのだと思います。母がサッカーは足しか使えないけど、ラグビーは手も足も使っていいのだと教えてくれたのを覚えています。岩佐少年はラグビーは何か特別なスポーツであると感じて、ラグビースクールに入ることになりました。(僕が試合でボールを蹴ることはありませんでした。)しかし、岩佐少年はすぐにラグビーは痛いということに気付きます。

毎週日曜日にラグビーの練習という地獄がやってくる小学校6年間でした。なぜ僕はこの生活に耐えられたのかは謎です。人生の7分の1が地獄の練習日という日々はどう考えても最悪です。小学校を卒業するまでは辞めさせないと親に言われていたので、卒業したら絶対にラグビーは辞めてやると決めていました。同学年の人たちは当たり前のように中学生のラグビークラブに入ることをきめていました。

結論から申し上げますと、小学六年生の岩佐少年は(中学受験をしていないので)頭が悪かったので、人生最大の判断ミスを犯してしまい、中学生のラグビークラブチームに入ることになりました。その後どうなったかは、ここには書けそうにありません。県千葉でラグビー部の練習に行こうと決めた日に、クラブチームでの記憶は全て削除しておきました。当時のことを思い出してしまうと、ラグビーをやるなんてことは到底無理です。今までに感じたことのない恐怖と孤独と劣等感を感じながらラグビーをやっていたということは確かです。ラグビーが下手な僕は、チームメイトの輪から外れ、今まで仲間だと思っていた人がどんどん遠ざかっていくのを感じました。

中学2年生の秋に限界を迎え、もう二度とラグビーに関わらないと心に誓って、ラグビーをやめました。ここでラグビーをやめるということは、両親を始め多くの人に迷惑をかけることになりましたが、チームを去った日には8年間感じることのできなかった解放感を感じることができました。
心の平穏を取り戻した僕は、勉強に集中できるようになり、無事第一志望の県千葉に合格できました。

高校でラグビー部以外のどの部活に入ろうか迷っていた僕は、ラグビー部の猛烈な勧誘から逃げきって、結局水泳部に入ることにしました。県千葉のラグビー関係者の人に僕がラグビー経験者であることがバレていて、無理矢理ラグビー部に連れて行かれないかと恐れていましたが、そのようなことはありませんでした。

しかし、母親が買ってきたCanterburyのTシャツを何も考えずに着て学校に行った日に、同じクラスだった森浦ガイにラグビー経験者であることがバレてしまいます。その時僕はCanterburyがラグビーのスポーツブランドであることを知らなかったのです。(あまりにもラグビーに興味がなかったので。)僕が彼に絶対にラグビー部には入れないという事情を話すと、彼はいいヤツなので、ラグビー部の先輩にはこのことを秘密にしてくれていました。

しかし、時が経つにつれて、僕がラグビー経験者でラグビーが嫌すぎてやめたという話は徐々に広まっていきます。1年生のときにクラスが一緒だったガイとヒロキは常に、ラグビー部に入ろうよ!と僕に言っていました。僕がラグビー経験者であることはネタ扱いされていましたが、笑い事ではありません。ラグビーには二度と関わらないと心に誓っていたので、絶対に入らないと言い続けていました。

しかし2年生の秋に、ラグビー部が人数不足で助っ人を必要としており、岩佐をラグビー部に入れようとする動きが真剣になってくるのを感じました。そのときはすでに佳士郎と知り合いになっていたので、彼からは入部しなくていいから練習に来てくれと頼まれていました。これほど頼まれて、勝手な理由で断り続けるのは申し訳なさすぎると思いました。また、僕が練習に参加することで彼らのためになるのだという気持ちもありました。佳士郎が言うには、他にも助っ人がいるから、僕はベンチでいいと。(これはウソでした。)当時クラスで居場所を失っていた僕は、今までのことは全て忘れて、少しでも練習に参加しようと決意しました。

こんな理由でラグビーを始めましたが、練習に行く前は、ラグビーをもう一度始めてしまったことに後悔するだろうなと思っていました。それを覚悟で決めたことです。しかし、ラグビー部に行きたくないなどと思ったことは一度もありませんでした。ラグビー部の人たちは全員あまりにもいいヤツ過ぎたからです。ラグビー部の仲間と過ごす時間は本当に楽しくて、あの雰囲気が大好きです。ラグビーはいまだに怖くて痛いですが、ラグビーは痛いのでやっぱりやめたいなんて言葉は出てきませんでした。県千葉ラグビー部じゃなければ、僕はラグビーを続けることなんて出来なかったでしょう。チームの皆が友達なら、きつい練習も乗り越えることができてしまうようです。県千葉でラグビーをやって初めて、試合に勝ったときに心から喜べました。特に八千代松蔭戦での勝利は一生忘れられない思い出です。

僕は、小中学校での辛い経験を乗り越えてもう一度ラグビーと向き合えた、なんて立派なことは言えません。ラグビーをやっていた8年間で植え付けられたトラウマは忘れられません。しかし、県千葉ラグビーの仲間や先生方がラグビーを丁寧に教えてくださり、いつもサポートしてくださったおかげで、毎日の部活を楽しむことができました。部員のみんなや先生方にはとても感謝しています。

親がこれを読んでいるかわかりませんが、、、
小学1年生からの8年間、ラグビーをやめさせないでくれてありがとう。毎週死にそうな顔で練習に行く僕はみっともない息子だったけど、そんな僕をいつもサポートしてくれてありがとう。確かに辛い思い出ばかりだったけど、ラグビーをやっていなければ出会えなかった仲間や、感じることができなかった喜びがありました。県千葉でラグビーを出来たということだけでも、今までラグビーをやってきた意味があったと思えるようになりました。

本当はもっとラグビー部での思い出を語るべきなのですが、自分のことばかりになってしまいた。すいません。

大会で全力を出せるように、最後まで頑張ります。応援よろしくお願いします。



読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!

髙橋組カウントダウン -あと8日-



こんばんは!
髙橋組最後の大会まで、残り8日となりました。
そこで、本日からカウントダウンを開始したいと思います!3年生が大会に向けた思いを綴っているので、是非ご覧ください。


初日は、山崎廉(WTB)!
2年生の夏前に衝撃の退部。しかし、人数が足りないため結局公式戦フル出場。最後の大会ももちろんレギュラーとして出場予定。
退部した人間にも優しく仲間として接する髙橋組の寛大さに乾杯。
それではどうぞ!

3年のWTBの山崎廉です。カウントダウンということで、自分のラグビー部にいた時の思い出を書きたいと思います。

まず一年生の時、僕は小学校からずっとサッカーをやっていたので、サッカー部に入ろうと思っていました。しかし、体験に行ってみるとやはり人が多く、すっかり萎縮してしまい、入るのをやめようかな、と思い始めました。そこで、僕は様々な部活体験に行ったのですが、その中で1番楽しかったのがラグビー部でした。また、ラグビー部は僕の中学からの友達が多かったのもあって、僕は結局入部を決めました。
3年生の先輩が引退するまであまりプレーする機会はありませんでしたが、引退してからは人数が少なかったのもあり、チームの全員が出るようになりました。その中で僕はCTBとして出るようになりました。しかし、僕の対面する選手はみんな自分より圧倒的に大きく、吹き飛ばされることも多々ありました。ただ、その中でもなんとか食らいついてプレーできていたと思います。また、僕はサッカーをやっていたのもあって、コンバージョンキックという大役も任され、これはすごく楽しかったです。ほとんどコンバージョンを蹴るために練習に行っていたような感じでした。しかし、1年の終わり頃から2年の初め頃にかけて、僕は試合で2度の脳震盪をしました。この時期、僕は何回試合に出ても怪我をするような感じになってしまい、正直心が折れてしまい、部活を辞めました。

こうして僕のラグビー部としての期間は終わりましたが、その後も助っ人として試合には定期的に出ていました。僕は辞めた時、僕が押し切って無理やり辞めたのもあり、もう部員とは気まずくなり、話さなくなると思っていたし、覚悟もしていました。しかし、人数が足りなかったのが大きかったと思いますが、学校でも普通に接してきてくれたことを、すごく感謝しています。また、僕が試合に行った中だと3年の春の大会はすごく印象に残りました。助っ人含めて15人しかいない中でベスト4になれ、自分もその一員になれたことはすごく嬉しかったし、あの時の団結感や勝った時の高揚感はラグビーでしか味わえないものなのかなぁと思い、すごく行ってよかったと思いました。

最後に、今まで短い間でしたが僕のラグビー部の活動を支えてくださった方々、本当にありがとうございました。先輩方、とくに内田組の先輩たちは細くて怪我も多かった自分に様々なアドバイスや優しい声かけをしてくれて、本当にありがたかったです。先生方やマネージャー方、短い間でしたが熱心な指導、丁寧なサポート、ありがとうございました。
なんだかんだ3年の最後までラグビーの試合に出ることになったので、出るからには精一杯仕事をこなして、チームに貢献できるよう頑張りたいと思います。
ありがとうございました。




読んでいただきありがとうございました。明日の投稿もお楽しみに!

野澤武史さんに来ていただきました!

こんばんは!

昨日の放課後、元ラグビー日本代表の野澤武史さんに来ていただきました。

主にタックルやブレイクダウンを細かく指導して頂き、また新しい多くのメニューを教わりました。そしてタックルやモールのコツ、試合中に使えるプレーも教えて頂き、とても貴重で濃密な練習となりました。部員も今まで知らなかった多くのことを学ぶことができ、新たな発見があったと思います。

野澤さん、貴重なお時間をありがとうございました。

教えて頂いたことを試合で実践できるよう、練習していきたいと思います。

いつも髙橋組へのご支援ありがとうございます。

ではまた更新しますね(*˙˘˙*)ஐ

練習試合 vs芝浦工大柏

こんにちは!

先程は写真のみの更新となりすみません。

先日、芝浦工大柏高校グラウンドにて芝浦工大柏高校と練習試合を行いました。

前半開始2分で先制トライを相手にとられますが、すぐにトライ2本を返し、12-10とします。

しかし、前半の中盤で怪我をした選手が試合から抜けることになりました。このことで出来るプレーが限られた上にミスが増え、12-22で前半を終えます。

後半、天候の影響もあり、自分たちの流れを掴めないようなプレーが続きます。体力も集中力も無くなっているのがプレーに表れていたと思います。良いプレーもありましたがトライに繋げることが出来ずに12-51で試合を終えました。

今回の試合は改善点が多く見えた試合となりました。

9月も最終週となり、公式戦が近づいてきています。選手全員が悔いの残らないように練習していければと思います。

いつも髙橋組への応援ありがとうございます。

これからも髙橋組へのご支援、ご協力をお願いいたします。

ではまた更新しますね(*^^*)

練習試合 vs日大習志野、市立松戸

こんにちは!

先日、日大習志野高校グラウンドにて、練習試合が行われました。

前半、出だしが悪く、トライを取って返されること続いて、中々良いプレーが出来ませんでした。しかし後半になると、集中力も上がり、トライを取られることもなく、県千葉らしいプレーができました。結果は勝利し、最後の大会に向けて一歩進めてかなと思います。またけがしている選手も見かけるようになりました。これから先も練習試合があるので、しっかりとケアしてほしいです。

最近、練習後に夜遅くまで自主練したり、OBの方々にも一緒に練習していただいたりしています。残ります2ヶ月弱、関わっている方に感謝しながら、悔いのないように練習していきたいと思います。

いつも髙橋組へのご支援ありがとうございます。

これからもご協力よろしくお願いします。

ではまた更新しますね(*˙˘˙*)ஐ

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